猫の気持ち ネコザブの憂鬱

ぼんやり

猫は、iPadを取る手の動きを嫌う。例えもう片方の手が完全に自分の手中にあろうとも、iPadを取ろうとする手の動きから、人間の心が、自分から動いたことを察知するのだ。

今年迎えた4匹目の猫は、これまでの3匹に比べ異様に懐こく、抱かれるのが好きで好きで堪らないらしい。オヤツかアソベかアタタメロ(レンジで温める座布団型カイロ)以外、頼んでいないことはやってくれるなと愛想の無い3匹は、とりあえず抱け!と煩い仔猫を白けた目で見つめている。性格が違いすぎて、飼うほどに難解になる猫という生き物だが、猫同士でもワケワカラン奴はいるらしい。人間同士もあることは、猫同士にもあるということ。

帰宅後の、食後の、風呂上がりの、一服の瞬間を仔猫は見逃さない。どこからとなくさっと寄ってきて「さささ、寝転びたまえ」と促しては胸の上に鎮座する。今夏以降、私は「猫の座布団」略してネコザブの称号を得た。

ネコザブには胸の上で微睡む仔猫を愛でる特権があるが、5分もすれば何も出来ない、起き上がれもしないことに不満を感じるのが人間の愚かしさである。就寝でベッドに入った時とか、テレビで映画を観ている時だとかならまだしも「じっとしている幸せ」を無垢に享受出来ない現代の大人になってしまった私は、ついついiPadや本に手を伸ばしてしまう。

本はまだ良いらしい。ページを捲るカサカサという音が心地良いのか、仔猫の頭上で本を捲る体勢が抱き締められているように感じるのか、ブロブロと喉を鳴らして喜んでいる。

しかしiPadはダメらしい。ポッドキャストやYoutubeを聞き流そうと起動の操作をするだけで、不機嫌を露わにする。音がうるさいというのは一因になりそうだけれど、テレビ見ながらは問題ないのだから、一緒では? と人間は思うが違うらしい。

不快を感じる場所にいる意味がない猫は、その場を後にする事に迷いがない。微睡が深くなってきたあたりで、そーっとiPadに手を伸ばしても、パッと大きな目が開き去っていってしまう。その度「ああ、またやってしまった」と自己都合の愉悦を優先したことを悔やむのである。

思うようにならんなぁ、と思っているのは私だろうか、それとも猫だろうか?

寝る前のブルーライトは睡眠の質を下げるのだから、今夜こそは猫の気持ち最優先で一緒にぐっすり眠るんだ。

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