家具を捨てる

捨て日記

35年生きてきて、引越しの経験があまり無い。大学時代は一人暮らしをしていたけれど、卒業後は実家に戻ったので、大学時代の下宿先に行って、卒業して帰ってきて、の2回。そして今、祖母宅を引き継ぐために長い引越しを徒歩20分の距離で行っている。計3回。

人生の大半を実家で過ごしていると、家具を自分で選ぶという経験をすることがない。いわゆる子供部屋おばさん( )なので、家具は親世代以上が選んだ物を寄せ集めることで事足りる。強いていうなら、雑貨や本を並べるためのカラーボックスくらいしか、自前で持つ必要がなかった。

父親が家具好きというのも、日曜大工が好きというのも大きな要因だ。「こういう家具が欲しいなぁ」という呟きを聞きつければ、大義名分を得たりとオススメ家具のリストか、緻密に引かれた図面が目の前に置かれ、明るいプレゼンが始まる。この時点で父の中では購入する物または製作する物は決まっているので、私にあるのは同意する権利のみである。

そういうことを繰り返されて蓄積した実家の、特に「子ども」用の家具は、あまりに長い時間の中でその時々の必要と趣味嗜好が反映されて、チグハグこの上ない状態になっている。学習机の椅子がメッシュのデスクチェアっていうのは、子供部屋ならではの景色である。

そういったチグハグな家具を捨てている。そして、これからのために今欲しい家具を買っている。

もちろん、再利用できる物は残している。昭和感漂うちょっと安っぽい木の椅子だって、座面をミナ・ペルホネンの生地に変えれば、レトロで可愛い家具になる。(まだしてないけど)

実家人生の私には家具を買い替えることは大変なイベントだという話なのだけれど、引越しに慣れた人達はどういう気持ちで買い替えているのだろうか。もう、消耗品の扱いなのかしら。

SNSを開けば、軽トラどころか台車ひとつで完結しちゃうミニマリストの引越しも見ることが出来る。家具を買うこと、その決断は、慣れないせいか喜びよりもストレスの方が大きかったので、ミニマリストたちの選択がいかに合理的かと感心する。

感心はしていても、結局私は買っている。必要な買い物には間違いないが、ミニマリストたちから見れば間違った買い物に違いない。

十年単位で未来の話だけれど、今年買った家具は、自分が生きているうちに処分しようと誓う。伽藍堂の自宅で最期を迎えることができたら、大団円と言えるだろうな。

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