春分の日

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心など、どうにでもなるのだとそう思いながら、それでも東向きの窓から見える向かいの白い壁が夕方の陽の色に染まる様にときめきを覚えてしまう。

かつて、色がちがうというだけの理由で同じ文具をいくつも買い漁った少女の頃の様に、好き、という気持ちひとつで弾けるように解き放たれる力があれば良いのに、と思う。

解放されるには、力が要るのだ。後先など存在せず、今この瞬間だけ、というような、真っ直ぐさを支える力。点のようであり、どこまでも伸びる線のようである力。

かつては私にもあった。今日死んでも良いと心底思っていた。私はその力を失いつつある中で、明日を、来月を、来年を想うまた別の力を手に入れた。賢明さと人は言うかもしれない。老いとも、言うかもしれない。

私は願っている。かつて私にもあった、あの少女としての感受性が私の中に戻ることを。

そして願っている。感受性を取り戻してなお、それでも賢さを失わないことを。

きっと、強欲さは時間を失ってゆくことの代償なのだ。私は手に入れた欲深さを糧に、ずっと生きるのだ。

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